起爆剤ない?

10月は行事の多い月でした。

土曜日に運動会や発表会、土曜参観日が何処の小学校や幼稚園でも連なり、土曜日に来てくれる生徒さん達は今月あまり顔を合わせていません。来月に会えるのを楽しみにしています。

コンクールを控えている生徒さん達には、振替日に来てもらってなんとか見ましたが、レッスンが空けばそれだけ弊害もあります。あまりにも何も変わっておらず、また一生懸命さがないので、雷を炸裂させてしまいました。通常のレッスンで怒ることはありませんが、時間を持て余し、理由なくサボっている場合は厳しく諭します。ただ、言い聞かせながらも、過去の自分もこんなタイプだったと、昔の姿が並行して重なるのです。

なんとなく出来てしまう子は、なんとなくの感覚で泳いでいけるので、鍛錬の場に身をさらさない。少しでもやれば、やったと言う。しかし、それは目指している反復や向上の伴う練習ではないので、身に付かない。しかしながら本番に出ると、不思議と点差をかいくぐりすり抜けて行くので、上手なのではないかと錯覚してしまいます。基礎や底力は付いていません。どんなに巧みに泳いでも、見れば分かる。聴けば分かる。気が付かないのは本人だけなのです。この、どうしたら本人が気がつくか、どうか早く気が付いて欲しいのだけど、他人が願ううちは叶わないのです。私が気が付いたのが遅かったように、生徒も気がつくのはまだ先かもしれません。

相手を変えようとしても変わらないのです。ここは自分が変わらないと生徒も変わりません。私が核分裂しないと人も変わりません。自分を見ているようで歯痒さもあり、自分がこうだから仕方ないという諦めもあり、いやいや、言うべきことは言わねばと気を吐く自分もあり。生徒は鏡なので、いつも我が身を振り返って一言申し上げねばと思う秋の夜長です。

安佐北区 ピアノ教室 可部 あき亀山 #師匠からの呼び名はナマケモノです