円熟の極みへ

昨日のことですが、廿日市のさくらぴあ小ホールで、師である小嶋素子先生のリサイタルがありました。

1月に同期と集まった時に、小嶋先生、春に演奏会するらしいよと情報が回りました。その時はえっ?という感じで、ただ驚きました。内容は分からずとも先生は久しぶりにリサイタルを開催される様な気がして、ちょっと唐突な印象を受けたからです。

もしかしたらこれで演奏活動は引退なんて位置付けなのでは⁇と一抹の不安もよぎりました。しかも、平日の夜だから外出は厳しいなぁと最初から諦めていました。

しかし、以後門下生のあちこちから先生のリサイタルどうするーー⁇的なものが幾度となく届き、揺らぎます。

勿論行きたいのは山々だけど、新生活を迎える時期に子供のお預けはちょっと…そして夜間はちょっと頼みにくい…レッスンの調整もしなくてはいけないから、ああ困った困った、やっぱり無理だと諦めたら、別のところから意外な助け船ありました。家族を巻き込み(いつもですが)、すぐさまチケットのお願いをして、あとはどうにかなると腹をくくって、調整を重ねてようやく会場に到着しました。

あらかじめチケット完売で席が確保できるか分からないから急いで来て下さい、と連絡ありました。可愛い可愛い後輩の先生が、座席確保までしてくれ、かくして師匠のリサイタルが始まりました。

春の宵コンサートと題されたコンサートのオープニングに、シューマン=リストの”春の宵”が、証明を落とした状態で演奏されたのです。

その演奏は、今迄聴いて来た先生の演奏の何もかも変わっていました。

音に艶があり、出される響きが光を放っていました。先生がこの演奏会の為に日々真摯に音楽と向かい合い取り組まれたことが伝わる、何かを超越した新しい世界に行かれた音楽でした。

私たちの住む世界ではない、別の次元の音楽でした。

天国はきっとこんな美しく純粋なものしかないのだろう、と思いました。

こんな美しい音楽を聴くことが出来るなんて、という奇跡的な出会いに深く感動して涙がはらはらと落ちました。

言葉では言い表せないくらいの、崇高なものに触れました。

神の領域に近いものに接することが出来たという感じを受けました。

俗物が地面を這っているのと、天国で神の祝福を受けた美しい鳥が飛びかい、鳴いている絵を対比させたような、それ位の隔たりがありました。

素晴らしくて、心動かされました。

ご一緒に演奏されたN響のチェリストの方も、すごすぎて…こんな方がいたなんて、こんな演奏があるなんて、こんなにも音楽の神様に祝福された音楽家がいるなんて、こんなに自然で美しいチェロの響きがあるなんて、もう表現する言葉が見つかりません。

どうにかしてチェロを弾いてやろう、という演奏ではなく、音楽の精が自分の大好きな楽器に愛されて、共に寄り添う大事なパートナーの様に楽器と奏者がお互いを思いやって宇宙を創り出している演奏でした。

衝撃的な感動ではない、奥深いところから共鳴する崇高な演奏会でした。

先生は凄すぎました。

楽屋へ挨拶に行ったら、まあありがとう〜〜とぎゅうとハグして下さり、話をするうちにまた涙腺が緩み…(;_;)

先生は喜寿を超えてまだまだ確変しているのです。残っている弟子たちに、身を持ってメッセージを伝えたのです。

先生がやって私たちがやらないとは。
音楽とは続けること。

ツヤを出し磨きをかけ、尚も磨いて磨いて。

終わりはありません。

安佐北区  ピアノ教室   可部  あき亀山   ピアノ教室ブリランテ   

演奏会  小嶋素子