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フランス印象派へ

先に述べました、リストやショパンなどがサロンで貴族階級と交流を持ち、その音楽を世に広めた場所は彼らが生まれた場所とは遠く離れたパリでした。
フランスの楽器メーカーのエラールが革新的な発明を続けて、リストの作曲活動に影響を与えた事は大きな意味を持ちます。一方ショパンは同じフランスのプレイエルというメーカーのピアノを非常に愛用していました。派手な音響効果のあったエラールのピアノよりも、繊細で高音や弱音の美しいプレイエルのピアノを使って、小さなサロンで少人数の人に聴かせる演奏会を開催していたのです。
ショパンは体が頑丈な人ではなく、結核を病んでいて何時も青白い顔をしていたと伝えられています。ショパンが世を去り、リストも僧籍に入ってパリを去り、のちにフランスには国民音楽協会が設立されます。ピアノの革新的な発展と時代の移り変わりから、フランス音楽がより拡張して独自のピアノ音楽が生まれます。
その中でもドビュッシーについて、ペダルでは重要な留意点がありますので、またペダリングに絡めて続けます。

安佐北区 ピアノ教室 可部 長西純子ピアノ教室