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それからしばらくして

小学生時代が私のコンクール受験が盛んな時でした。結果も出て、交友関係が拡がり、広島市だけでなく中国地方の都市でお友達が出来ました。文通をして練習方法を披露しあったり、なんの曲を練習しているのか尋ねたり、次は何のコンクールに出るのか、情報交換を盛んにしていたのでした。
また、舞台に立って演奏するのが好きでしたので、緊張するのが嫌というのもありませんでした。このように子供なりにコンクールを謳歌していたのですが、大学の先生に紹介すると習い始めから進言してくださった先生が希望する音大の先生ではなかった事、別で大学の先生を紹介して戴いた事で先生が変わりました。
それから中学校へ進学して、ピアノ生活も一変します。
今迄楽しみにしていたコンクールはなし、近所に通っていたのが、市内中心部まで日曜日の朝一番に伺う事になり、徐々に窮屈な感覚が身に付いて回ります。
1時間のみっちりしたレッスンでは、ハノンからエチュード、モーツァルト、ショパン、ベートーヴェンと歌も加わり、作曲家毎に楽譜が変わり、弾き方も歌い方も否定されてテクニックやら音の出し方などの矯正が荷重に加わります。急に荷物も気持ちも重たくなりました。
今思い起こせば、それは人生の通過点であり、成長期で乗り越える壁の一段階が訪れたのだと分かりますが、何だか今迄の楽しかったピアノがとても苦痛に感じ始めたのです。これは今迄に経験した事のない初めての感情でしたからピアノが嫌ってどういう事であろうか、不謹慎な、と言う自分、面白くない、何でこんなことやっているんだろうか、ともがいている自分がせめぎあって、苦しんでいた時期でした。
結局2年後にはピアノやめてしまいます。

。。。すっかり自伝を書いていますね…。

安佐北区 ピアノ教室 可部 長西 純子ピアノ教室