デムス先生の思い出

今日は何か書こうか、そうだ、昨日の四日市カフェの事を書かねば。。とPCを立ち上げたら、なんと。

ウィーンのピアニスト、イェルク・デームス氏死去、と・・・・。

遂に天にお帰りになられたのですね。。巨星落つ、という印象です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

私がデムス先生に出会ったのは高校2年生の時の事。

師事しているM先生がデムス先生の弟子でもあり、広島に来られる時は先生を頼ってこられ、師が演奏会などのコーディネートをされていました。もちろん、広島には他にもデムス先生と繋がりのある先生方がいらっしゃるので我が師匠だけがコネクトしていた訳ではないのですが、M先生についてから暫くたったある日、ウィーンから素晴らしい先生が来るからレッスン受けたら??と薦められたのでした。先生につく以前はピアノをさっぱりやめてしまって2年空いていました。先生の指導から魔法にかかったかのように、ジャックと豆の木の豆の木みたいに、ああっという間にひょろひょろ伸びて行った、まだ不安定な状態なのに公開レッスンを勧められたのです。本気で言っているのかなと思ったほどです。(その後も別の事で本気で言っているのか思うことが何度かありました)私が受けてもいいのか迷いました。何故ならレッスンしてくださるのがイェルク・デムスだと言うのです。

イェルク・デムスと言えば誰でも知っている世界的なピアニストです。フリードリヒ・グルダ、パウル・パドゥラ・スコダ、デムス、と並ぶウィーンの三羽烏です。一体何を間違って広島の2年もブランクのある、今ようやく本物の指導を受け始めたヒヨコが、デムス先生に見てもらうって・・。その後、何度か広島に来る度にデムス先生のレッスンがありましたので、そんなにビックリすることではなかったのですが、何も知らないだけに物凄い事が自分の人生で起こっている気がしました。レッスンには、当時練習していたショパンのエチュード作品10-11と、リストの演奏会用エチュード、ベートーヴェンのピアノソナタ7番などを準備して行きました。

西区民文化センターのスタジオで公開レッスンが行われたのですが、ステージのはじにちょこんと座っている通訳の方と、土星のわっかみたいな大きなお腹をした、頭から汗をかいててっぺんから湯気を出している巨大な男性がいました。先にレッスンを受けている大人の人に大声で怒鳴り散らしているのを見て、一気に身がすくみました。なんなんだここは。何が行われているのか、理解するのに時間がかかりました。涙を浮かべてレッスンを必死で受けて喰らいついている大人の方が終わり、次は私の番です。謝礼をまずお渡しすると、二言三言ドイツ語で何かを言われてポケットにくしゃくしゃっと丸めて入れてしまわれました。あああ。それは。。。オーマイゴッド、、、、、、マンマミーア・・・・・、ですが、もう、既に怖くて、すっかり飲まれてしまいました。完全に蛇ににらまれたカエルです。師匠はそこに居ません。その巨体と風圧と威厳と凄まじい芸術家の熱量が肌にビシビシと通じて、痛いほど刺してきます。孤高の至高の芸術家に応えられるだけの実力は私にはありませんでした。まず通訳の方に、今日は何を弾かれますか?と尋ねられました。ショパンのエチュードと、ベートーヴェンと。。と震える声で伝えると、デムス先生が、分かった、じゃあショパンから、と言われました。

つづく・・・・・・

 

 

 

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