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目に見えないもの

ピアノを習っていたら右脳が働いて感性が冴えますよ、とか、習い事はピアノが一番良いとか、ボケないとか、ピアノを弾いている子は頭が良いとか、聞いていたらゼヒやっておこうと思えるような良い風評が様々あります。教える側としても、宣伝としては最強のフレーズを公認の後ろ盾として使える訳ですから、この上なく有り難い限りです。
しかし、いつそうなるのか⁇目立って変わるのか?どこまでやればいいのか⁇
逆に何年経って変わらない様ですが…と言われることもあるものです。
これには、やはり考えさせられるものがあります。
まず、ピアノが機械ではない事、勉強の様にはっきりした点数が付かない事、点数結果主義の考えでは、熟成過程の説明も理解されないであろうという危惧があります。
いつ迄やっていれば、何年か後には具体的にこういった変化があります、とは申し上げられないものがあります。
人それぞれ早咲き、遅咲きもあれば、向き不向きもあり、超低空飛行を続けて、いい加減親からも先生からも見放される寸前にアルきっかけで目覚めたとか、学年が上がり、感受性が深くなり感動を覚えてから音楽に対する向き合い方が変わるとか、興味が乗らなくなり、サッカーボールにシフトしたとか、あんまり気乗りしなかったけど、何故か辞めずに続けていたら自分が一番上手になっていたとか、千差万別です。
所詮結果は結果であります。
しかし、道中の花を見て、山路を苦労しながら登り、時には雨に降られて傘が無くて困り、そんな道すがらにそっと傘を差し出してくれる優しさに触れたり、それに感動していたら余所見して木に激突する、コブを作って涙流しても歩き続ける、その後ろには道が出来ていた、、、そんな道中がピアノだと思うのです。
こうすれば良い、これが特効薬、はありません。一発で効く薬は毒です。
ピアノは自分の人生を映すもの。私はそう考えています。成果や結果は実は見えないもの。自分の中身が充実して、深く音楽に踏み込んだ時に、神髄に近付く畏怖と音楽に対する尊敬が生まれます。初めに頭が良くなる為に習うのではなく、難しく考えず、かつインスタント食品の様な即席さを求めず、ただ楽しみながら素直な気持ちで音楽と寄り添って貰えたらな、と思います。

安佐北区 ピアノ教室 可部 長西 純子ピアノ教室