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2002年ポルトコンクール付随旅行記 不審者

全くもって胸糞の悪いカウンターの対応に、何も言い返すことも出来ず、後ろも見ずに全力で立ち去りました。
そして、ドッと疲れが出て、ロビーの長椅子に腰を降ろすとしばらく放心状態になりました。慣れないことをしたからかな…フランス行きが少し心配になりました。
14時発の飛行機の搭乗手続きが始まるので、金属探知機のゲートをくぐって、これでポルトガルともお別れだわ、、帰国便のチケットでも見とくか、と、うん⁇あれれ⁉︎⁉︎⁈航空券のファイルをみたら、日本に帰るチケットがありません‼︎一気に血の気が引きました。どういうこと⁇⁇⁇大パニックです。手持ちカバンをひっくり返し、貴重品入れている肩掛けバッグをひっくり返し、ない、ない、ない、ない‼︎とにかくない‼︎!‼︎
どうしてない⁇どこに忘れた⁇チケットを出した場所というと…⁉︎あの、ジメジメした嫌がらせのカウンターでしか出した覚えがないのです。もしかして、あそこに忘れたのか‼︎
あれがないと帰れない。ぎゃー‼︎飛行機に搭乗する人達が、移動のバスに乗るために誘導されていました。絶体絶命です。血相を変えて、誘導係の人に、忘れ物をしたから取りに行かせて欲しい、私も乗るから待って飛行機飛ばさないで欲しい、とお願いをし、だだだだだだだだーっと突っ走ると金属探知機の係の人にも、どうか、大事な忘れ物をしたから外に出してください、あの外で待ってる飛行機に乗ります、と懇願して、ボディコントロールから外に出ると、もう足がちぎれそうなくらいの全力疾走でカウンターまで爆走しました。
多分、みんなが振り返って見ていたと思います。視線を感じました。恥ずかしかったですが、そんな事を言っている場合ではありませんでした。あんなに必死で走ったのは高校のマラソン大会以来です。カウンターまで遠かった。。やっと着いたら、他の人がチェックインしていましたが、あの嫌な担当が私を見付けて、フン、とまた睨みつけました。あった‼︎カウンターの脇に普通に置いてありました。別に渡された訳でも無かったのですが、これ私のです、ありがとう、(なんて言わなきゃ良かったのに、つい…)と言うと、再びアラレちゃんみたいに、キーーンとぶっ飛ばして空港内を走りました。足元から煙を出したかったですが、もう、行きで足がちぎれそうなくらい走ったので苦しくて苦しくて、バタバタドタドタ走りでした。チケットを取り戻して喜ぶ暇もなく、今度は飛行機が私を置いてけぼりにしたらどうしよう、手荷物も椅子に置いて来た……無くなってたらどうするのでしょう。また走る、走る。
しかし、自分が来るまで飛ばさないでとお願いするとか、何様なんでしょうか。
金属探知機をもう一度くぐると、同じ便に乗る人がゲートをくぐる順番待ちをしていました。何か倒れそうになりました。日本では考えられないくらい、こちらでは時間がのんびりしています。かたや飛行機が待っているバスに乗り込んで行く人達も居るというのに、同じ時間を死に物狂いで走る変人もいるのに…
結局、飛行機は30分遅れて離陸しました。
手持ちカバンも無事でした。
短い時間で色んな事が起こったので、頭が爆発しそうになりました。

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