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2002年の旅日記① 空港にて

とてもとてもお世話になったKさん家族が、再びポルト空港まで送ってくださいました。
私の一次予選の日に、朝早く起きてお弁当を作って下さった奥様。まさかポルトガルで真っ黒な海苔がたっぷり巻かれたおむすびや、焼き鮭、何処で手に入れたのだろうとびっくりするくらいに、ありふれた和食の、日本では普通に食べれるようなお弁当を心を込めて作って下さった奥様のお弁当は、生涯忘れることのない味の一つです。あんな心遣いと愛情溢れたお弁当は作れません。
涙涙のお別れも、そろそろチェックインの時間だからと簡単になって、再び重たいスーツケースをガラガラ引いてカウンターに行きました。何と無く、ポルトを脱出出来ると思うとホッとする自分がいました。
一つ一つの予選が終わる毎に、たくさん居た顔見知りのコンテスタントが激減して行くのです。最初の孤独が蘇ります。独りぼっちになる前に、私も行動したかった。プラス、安ホテルはやはり安ホテル、、ベッドと掛け布団が湿気ていて大量のダニに噛まれてしまい、腕が痒かったのです。重くてジメジメした布団に、冷たいコンクリートの建物で朝晩のポルトは底冷えのする毎日でした。
うーん、みんながいなくなる前にパリに行こう‼︎と気が大きくなり、旅行代理店を探して、パリ行き飛行機を取ったのです。
ここまで来たら、何でも自分で出来る気がしました。
チェックインカウンターで、パリ行き航空券とパスポートを出しました。
そして、質問は何⁇みたいに待っていたら…
上から男性が超早口のフランス語でまくし立てたのです。え⁇フランス語⁇フランス語と分かりますが、何故フランス語で聞く⁇空港カウンターじゃないか、質問は共通語に決まってるじゃん、しかもポルトなんだけど、、確かにフランス行きに乗るけど、、駐在社員なのか、え⁇おそらく相当泡を食った顔をしていたのでしょう。
そうしたら今度は蔑む目で(私にはそう見えた)
とーーーーってもゆっくりな英語で、
あなた は いつ フランス を 離れ た 予定 でした か ⁇⁇
と聞いて来ました。え⁇何のこっちゃ⁇過去完了⁇何何出国の日かな⁇と思って12日です、と答えたら、ノン‼︎全く、何言ってるんだ、というジェスチャーが入り、再び、あなたは 〜〜〜の調子で質問が続きました。
何か英語も変な感じ⁇です。持ち歩いている電子辞書を片手に、帰りの帰国便チケットを見せながら、何て聞きましたか⁇帰りはこの日です、といえば、もういい、と手で制されて、そのまま何処かへ電話をかけようとするではありませんか。
血の気がサーっと引きました。これはヤバイ…私は不審者だ、このまま警備員かポリスに通報されて、危険人物扱いで連れて行かれる……。ちょっとちょっと‼︎もう一度今度は自分から、同じように、私は帰りの航空券もちゃんと持ってますよ‼︎帰りは12日よ‼︎ちょっとパリ行き変更しただけよ‼︎と、ありったけの英語でガチャガチャ言いましたら、面倒臭そうにもういいよ、あっちへ行け!しっしっみたいに顎でペイっと指示されました。むかっとしながらも、メルシーと言えば、航空券をバサっと投げて渡されました。人種差別か、と思って、腹を立てながらも気分悪いので、後も見ずに足早にカウンターを立ち去りました。

安佐北区 ピアノ教室 可部 長西 純子ピアノ教室